すべてを解くカギ

みなさんはこの世が生きやすいと感じていますか?

 

私は生きにくかったです。とても生きにくかった。

 

過去形ですが、過去より今のほうがその生きにくさの成り立ちや細部が良く見えています。良くないところがく見える。

 

というとネガティブな感じがしますが、生きることの喜びより生きることの苦しみのほうが切実に思えます。

 

瞑想をしていると、すべてがつながってひとつだということがわかってきます。私たちが良いとか悪いとかいうレッテルで世界を計るのに慣れているだけであって、本当はそれはひとつのものの一方と他方を見ているだけ、というふうに。

 

一体感というものを実感するようにもなります。

 

そういう時私は、これこそがしあわせだと感じます。同時に、世界に起こることはすべて自分に起こっているように感じます。共感とはこんなちからです。まるごと、感じるちからなのです。

 

それがからだにしみついてくると、日常の生活の流れの中でも、「あ、しあわせだなぁ、今」と何度でも心が立ち止まってしあわせを感じる瞬間が増えます。別にやっていることとは関係ないのです。家事中とか、家事と家事の間の移動のときとか(笑)。

 

風邪をひいて具合が悪いのに、なぜか心が幸せ、ということもあります。これには最初のころは驚きました。

 

振り返って言えるのは、生きにくい真っ最中には絶対になかったことです。

 

以前のしあわせは言葉にするなら、なにかが達成されたとき、叶ったとき、成果があったとき、認められたとき、評価されたとき、手に入れたとき。よく振り返ってみると、ほとんどが「得ることによって感じる」ものでした。

 

この世を生きる中でもちろんそういった醍醐味はアリだと思います。でもそれがしあわせであり生きる目的になってしまうと、結局人は恒久的にしあわせであることはできません。二元性の世界のなかで人はいつも失っています。

 

究極的に言うなら、持ち時間を常に失って生きるのが生き物です。

 

私たちは正しいレールの上を走っていればしあわせになれるとどこかで思っています。ですからなにか問題が起こると、どこかでレールを間違えてしまったのでは、と点検に入ります。

 

仕事も恋愛も成就して家庭を得ているのに、満たされていない。これはきっと、仕事が間違っている、或いは結婚相手を間違えた?そんなふうに考え始めます。

 

どこかにほんものがあって、私はそれをまだみつけられないでいる。そんな感覚です。

 

そのお知らせはすばらしいものです。あなたは必要な設定を手に入れています。

 

「なんのための?」

 

重要なのはそこです。

 

今は平和で豊かで情報もたくさんあります。だから本当に、探し求めてさまようことができてしまいます。実際に世界中を探し回ることもできる。

 

あるいは、やろうと思えばできるのにそれをしていないことに罪悪感を抱えながら悩んでいる人も大勢います。

 

できたらあなたの時間を大切にするために、外側に探すことをやめて、内側を本気で探してみることをおすすめします。

 

答えは間違いなくそこにあります。すべてを解くカギはそこにあります。

 

あるのはわかっている。でもやり方が検討もつかない。そうです。

 

知性も情報も大切なものですが、それではアクセスできないのが内側のカギだからです。

 

心に降りていくことです。そのお手伝いを、よかったらさせてください。