その敏感さの使い方

私たちのからだは

魂(キリスト意識)を運ぶ乗り物であると同時に

受信機であり発信機でもあります。

 

敏感で生きづらい、と感じている人は多いかもしれませんが

敏感とはそもそも

その受信と発信の機能が精妙にできているということです。

 

生きづらい、というのはつまり

その精妙な送受信機能を

周囲に合わせるために使っているからです。

 

精密な送受信装置は周囲とは比べ物にならないくらい

多くの情報をキャッチしたり放出したりしています。

 

そして絶えずその情報が持つエネルギーに反応して生きています。

 

アンテナが多い人は当然ながら

周囲とは違った反応をしています。

 

簡単に言えば、周囲が困っていない時に困り

周囲が気にしないことを気にし

周囲がつまづかないことにつまづきます。

 

別の側面から見れば

周囲が嬉しくないことに喜び

周囲が通り過ぎてしまうことに感謝し

周囲が見過ごしてしまうことに感動します。

とても豊かと言えます。

 

ですからそういう人は、感受性が豊かだと言われたりします。

 

でも当の本人は

浮き沈みが激しかったり

情緒が安定しなかったりで

良い習慣がつきにくく

そのせいで自分を信頼できなかったりして

自分に対して肯定的でないことが多いかもしれません。

 

それでそういう人はますますその送受信装置を

周囲の人の顔色や気分を察知して

周囲から受け入れてもらうために

 

あるいは周囲が求めているものをいち早く察知して

自分が提供できるように備えるために

 

つまり周囲を察知して適合するために

使うようになります。

 

行為自体は思いやりや愛に似ているのですが

その行いが愛と思いやりとして

自分に返ってくることは少ないでしょう。

 

なぜならその行為のおおもとに

違いという恐れがあり

自己保存の目的から発せられているからです。

 

自分の内面には

豊かさや愛、才能や思いが溢れていることを自認しながら

それが発揮しきれない感覚や

毎日が対処に追われて体力や時間が足りない感覚

 

本当にすべきこと、やりたいことに

ちっとも自分を注げていないような感覚に見舞われている人が

多いのではないでしょうか。

 

セッションにいらしてくださる方がたの

テーマを掘り下げていくにつれ

そのことに集約されることがとても多いです。

 

送受信機の精妙な人はたいてい

疲れているし

周囲の無理解を悲しんでいるし

その不公平さに怒っているし

なによりそうでしかいられない自分を責めています。

 

自分を攻撃している以上は

他者のためになる行いをしても

返ってくるのは自分を傷つけるものであったり

違いという溝を深めてしまう結果だったりすることが多いでしょう。

 

もちろん私自身もそうでした。

過去形にしましたが、その傾向は今も変わりません。

でも自分を理解することで

怒ったり責めたりすることは本当になくなりました。

 

そうなると当然、浮き沈みも穏やかになります。

 

そうやって修正することで楽になる面ももちろんあります。

 

でももっと、根本的なこと。

自然の生き物である人間になぜそんな機能がついているのか。

それは何のために存在しているのか。

 

人間という生き物は自然界で単独では決して強くありません。

集団で、知恵を使って、生き延びてきました。

 

ですから学習成果の集合意識として

周囲に合わせようとしたり

調和して生きることは重要事項となっていると思います。

 

また精妙な送受信装置を持った人は

今のような文明社会になる前は

集団にとってなくてはならない存在だったと想像します。

 

彼らはメッセンジャーでありサポーターであり

時にはリーダーでありヒーラーであったと。

 

今私たちは文明によって守られていますが

神から直接生かされていると感じる機会は減っています。

 

神さまから与えられた優れた送受信機は

生存のための重要な役割を文明に取って代わられ

むしろ文明の中で機械的に生きるためには

リスクとなり下がってしまいました。

 

自分の過去を振り返っても

なんのために生きるのか、という悩みが

それほど切実だったわけがわかってきます。

 

私たちは送受信機の役割に気づかなければなりません。

あるいは

送受信機の新たな目的を見つけ出さなくてはなりません。

 

そして、各々が真の使用目的に適っているかどうか

再度見直してみる必要があるのだと思います。

 

そのために私たちは

外側に目を向けるのではなく内側に目を向け

さらに内側を感じることをやってみなくてはなりません。

 

そして内側からキャッチした情報に従って行ってみなくては

それは生きた情報にはなりません。

 

次元が上がるというのは

外側の世界から内側に向かうことなのだと思います。

物質から目を離し

それを創造している源のほうに意識を向け

それと同調して生きること。

 

送受信機は、神とその息吹である愛を受け取り放つための

重要な機能だったのだと私は気づきました。

 

その目的を思い出して一歩を踏み出すことのすばらしさは

みなさんのご想像に難くないのではないでしょうか。