導かれる生き方

今日は11回目の結婚記念日。12年目?は?というくらい実感がわかない。

でもその後読んだ記事は、時間と歴史を私にわからせてくれた気がする。

 

ryukyushimpo.jp

 

2007年の今日結婚し翌年の8月15日、

テレビの(当時はたまたまその時テレビを持っていた)終戦記念番組で

座間味の集団自決を見て決意した渡沖。

その時の夫のひと言は今もはっきり覚えている。

 

「こんなことしてる場合じゃない。沖縄に住もう」

「いいよ」

「じゃあ、いつにする?」

「んー、4か月後?」

「よし」

 

その瞬間からまもなく10年経とうとしている。

その瞬間からなにかが動いて、ここまでまっすぐに導かれている。

 

確信もなければお告げもなかった。

 

ただ、恐れなく内なる指針と感触を頼りに進んだ。

祈りと、瞑想とともに。

 

それ以上の直観があるんだろうか。

 

なんの保証も安全もなく予測もつかないまま

受け入れること、確かめることの連続だった。

 

結婚した時、今のなにを予測できただろう。

 

ただ、自分はどうしても幸せになるのだという決意と、

この人が求めているものを

もしかしたら自分は持っているかもしれない、

 

私が差し出すことのできる小さな愛とか幸せを

この人は喜んで受け取ってくれるかもしれないという

おぼろげな感触だけだった。

 

✼✼✼

 

私の中に戦争の記憶がある。

両親や祖母や両親のきょうだいを通して。

 

そして物心ついたころに始まった

両親が家庭内で始めた戦争の記憶。

 

人の中にある消えることのない悲しみの記憶が、

決して忘れさせまいと自分の人生に戦争を起こす。

 

私の中には戦争が引き継がれている。

それは地球上のすべての人のうちにある長く深い記憶だ。

 

私たちそれぞれが自分の中にある戦争の記憶を癒し乗り越えることで

戦争は地上から役目を終えて去るだろう。

 

その時新しい歴史が始まるだろう。

それを目にしたいと願っている。

 

私たちは解り合わなければならない。

しかしそのためにはいつも、

自分を解らなければならない。

 

✼✼✼

 

座間味のおばあのインタビューは

夫の心になにを与えたのだろう。

でも私にはその大きさや価値が瞬時にわかったのだ。

 

それでなにができるか、なんていうことは

考えてわかることでもないし、

考えたところでちっぽけなものだ。

 

私たちは自分に与えられたごくごく小さな足場に

精一杯足をつけてそこに踏ん張り感謝を伝える。

 

そして自分の心の中に日々、毎瞬、響いてくる

かすかな音を聴く。

 

そのかすかな音を内側に精一杯に響かせて生きる。

 

その響きに生かされ

その響きが私たちに

課題を与え、気づきに導く。

 

平和を。

平和を。

平和を。

 

殺戮を完了させることを。

 

どうやって?

そんなことは大した問題じゃない。

 

そう願うことなのだ。

その願いに反したことをするとき

私の胸が痛むだろう。

 

それが大事なのだ。

 

その痛みを感じることが

人間には必要なのだ。

 

その痛みが

私の内側に横たわっている

愛の存在を教えてくれる。

 

それに気づけばいい。

それが導く。

 

その響きという振動を感じて

そのまま、生きればいい。