スピリチュアルのワークが目指すもの

みなさんこんにちは。この夏の沖縄は台風の合間に晴れ間がある、という感じです。それもまたことさらに美しいものです。

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相変わらずのガラケーで撮った一枚。南城市の道の駅かんじゅう駅からの海です。せーふぁうたきに隣接していて、RUACHからは車で6分くらいです。海のグラデーションまでは映りませんでしたが、雰囲気をどうぞ。

 

さて、先日クライアントさんから「アズさんみたいなことを言っているヒーラーいないんですけど。他と違う。」という言葉をいただきました。やっぱりそうなの?というような軽い驚きと確認をさせていただいて、神からのメッセージをいただいた気持ちです。(Aさんありがとう!ちなみにAさんもセラピストです。)

 

確かに現状、カテゴリー自体がマイノリティーであるスピリチュアル界の中でもさらにマイノリティーな位置づけにいるような気配を感じないでもないので一応「はい、独自の進化を遂げてます」とお答えしましたが、でも目指すところもやっていることも亜流だとは全く思っていません。いつも王道、いえ中道を心がけています。

 

多分、昨今のブームに乗っかっていないから世間的にはそう見えることもあるかもしれません。そもそもスピリチュアルというのは、普遍的なものです。ブームや世相によって変わらない本質のことをスピリットと呼び、スピリットに基づいた世界の捉え方がスピリチュアルです。原理や源に目を向けるという生き方がスピリチュアルな生き方だと言っていいと思っています。

 

多分、本当のスピリチュアルは当たり前すぎてかえって難しく聞こえることもあるかと思います。

 

たとえば愛というのは肉体意識から見ると複雑で厳しく難しく見えるものです。

 

でも神の側から見ると、愛は究極にシンプルで、逆に人間の肉体意識のシステムは複雑で多様です。体験の分だけいろんな反応があるからですね。だから人間は、愛による解決よりも、エゴの複雑さに対応するような解決法をつい求めてしまいがちです。それが昨今の多様化し複雑化した(似せ)スピリチュアルに思えます。

 

私たちは肉体の目でものを見て考えているので、肉体意識のシステムになじんでいます。そこから離れ、神の意識に同調してその視点から自分や世界を眺めるのが瞑想です。眺めるだけではなく、その視点に従って選択し、生きるようになることが私たちの進化であり目的です。

 

愛の視点に戻った時、私たちを囲んでいる問題は問題ではなくなります。それは進化のために差し出された課題だったりありがたい教師だったりします。敵はどこにもいないのです。

 

内なる神を中心に世界を見ると、世界には自分と神しかおらず、それ以外の存在はすべて神からの使者です。そうなったとき私たちは恐れではなく愛に満ち、そこから感謝が溢れます。

 

私がさせていただくセッションの目的はすべて同じです。人が周囲に手を下さずに、幸せになるという選択肢を内側にみつけだしていただくことです。でもそれは内面にとどまらず、世界を作り変えてしまいます。関係性や在り方そのものを。意識こそが創造の源だからです。

 

 

それは必ず存在しています。なぜなら、この宇宙の本質が神だからです。神は遍く実在しているからです。