学ぶ(まねぶ)いきもの

みなさんこんにちは。沖縄心のセラピストAZUです。

沖縄のお盆は特別。その頃は普段にも増して空も海も光り輝きます。空気の粒子が違うのです。毎年その時期が来ると、ああ、やっぱり凄いなと感じさせられます。

今朝もその余韻は続き、雲がダイナミックに訴えかけます。私たちはここにいるよ。あなたはそこにいるよ。そして海を渡る巨大な雨雲が近づいてきました。程なく豪雨となりそうです。

窓を閉めてきます。・・・

さて、降ってきました。

 

私のセッションは「意識の仕組み」というものを重視し基盤にしています。意識と言われると、心?思考?あとなに?という感じがしますが、意識というのはこの世界のエネルギーをすべて包括します。私たちのエネルギー、つまり生命のすべては、意識と言い換えられるということです。

聖書には光あり、言葉ありきとあります。全部、意識エネルギーです。

 

潜在意識はその意識の一部で、肉体に限定された意識の大部分のことを言います。からだが体験した記憶がベースなので、からだ中心の価値観となっています。

 

からだ中心でものごとを見ていくと、身体能力や知恵が優れている生き物はこの地球にたくさんいます。人間はライオンにもゴリラにも蛇や亀にも、生き抜く力だけ比べると負けてしまいそうです。人はあれがなければこれがこうでなければ生きられないという、とても不自由な生き物のように見えます。

 

人間は道具を使えて策略できる賢い生き物だから生き延びたんだ、という言い方もできるかもしれませんがもっとよく見れば人間は、見習うことに長けた生き物なのではないでしょうか。

 

見習って、自分のものにする力。それは尊敬や尊重という意識、またより良くなっていこうとする意識あってのもの。成長と言ってもただ生きて肉体とともに成長し衰退し死に至るだけではないもっと別の成長、発展を望む生き物です。それは潜在意識の領域にはありません。

 

それは想像力や共感力なしには決して達成できないものです。つまり潜在意識という、からだ中心の意識だけでは語れない人間独特の部分は、神に似せて創られた特性であり、それが超意識と言われる領域なのだと思います。

 

しかし発展、達成、想像力、向上心ですら能力の一部でしかありません。それらの能力が、最も中心的本質である愛という意識に紐づいていない限り、それらの能力が正しく使われ無限の成長を遂げることはないのだと思います。

 

見習い自分のものにするのが猿知恵に終わるのか、神の荷姿にとなるのか。これも人間の自由意志に任されている重責です。おさるさん失礼ごめんなさい。人間がんばらないとですね。

 

 

雨はすっかりあがり、またキラキラが戻ってまいりました。今日も内なる神とともに。