揺るぎない花

おはようございます。沖縄心のセラピストAZUです。

最近、リュウキュウヒヨドリのぴいちゃんがベランダに住んでおります。ベランダはガラス張りで私たちもよく出入りしますし、犬のおかあさんもいるのですが、我関せず高らかに声を響かせています。トイレ代わりにされてしまうのが玉に瑕。掃除の手間が増えてしまいました。

 

昨日は人間の見習う力について書きました。この知念は周り中がお手本に満ち溢れています。あ、ぴいちゃん戻りました。

 

豊崎のマンション時代、主人の患者さんのおばあがブーゲンビリアの鉢植えをくれました。おばあのベランダで多分長い年月生きていた感じの朽ちかけた鉢に入っていました。

知念にお引越しをして、念願の小さい地面が与えられたとき、私たちはそれほど深く考えずに持っていた鉢植えを次々植えました。

風向き、風の当たり具合、陽の当たり具合、根を張れる環境、水はけなど、様々な条件から、命を終える子たちもいました。

また育っているのかいないのか。台風のたびに小さくみすぼらしくなりながらも命をつないでいる子たちもいました。

その中でおばあのブーゲンビリアはある時から突然上に上に伸びたがり、剪定を重ねていましたがある時自由にさせてあげようと決めたとたんに立派な幹を伸ばし始め、あっという間に2階に届き、さらに2階の窓に合わせて飾りのように繁り、とうとう屋根にまであがって満開の花を咲かせるようになりました。

いったん爆発的な成長が始まるとその子は揺るぎませんでした。でもそれまで鉢の中にいたときはもちろん、地面に植えてから3年以上そんな素振りも見せませんでした。

 

人間の霊的な成長が肉体に根付き花を咲かせ実を結ぶのもそれに似ているなあと思うのです。私たちは物理次元でものごとを右から左へ効率的に動かすのが好きです。生まれたときからそんな風に育てられていますから。

 

でも内なる神という真理の上に肉体が信頼をよせて安住するには、すぐにかたちにならない準備が水面下でなされているのだとつくづく思います。あるとき、思いもよらないタイミングで揺るぎない自分の花が開くのだと。

 

自分もそうだったと思いますがクライアントさんとのセッションを通して、その花をいつも見せてもらっています。神からの贈り物として。