もののけ姫をめぐる魂の理想

こんにちは。沖縄心のセラピストAZUです。

 

映画「もののけ姫」をご存じの方は多いと思いますが、もののけ姫のメイキング映像をつぶさにご覧になっている方はいらっしゃいますか?私は妹からビデオテープをもらって、何度となく見ました。

 

何巻にも及ぶ膨大なメイキング(レンタルもされています)ですが、なかでも繰り返し私の脳裏をよぎるシーンがあります。

 

本編を見返すと1秒か長くて1.5秒か、という場面です。後半、戦いを止められずすでに怒涛の渦の中、アシタカがサンを探し、顔にかかる木々の枝を腕でよけながら山を駆け降りるところ。(だったと思う)

 

スタッフが書いた絵コンテは目に入りそうな小枝におののく一瞬の表情、のけぞりながらも疾走するアシタカが描かれています。凄く細やかで、リアルだと私は感じました。

 

しかしそれを見た宮崎駿監督はぶんぶんに怒り、モンクをぶつけながら全部描き直します。

 

アシタカはこんなね、弱虫じゃないんです、逃げ腰じゃないんですよ、こんな絵はね、いらないんです、アシタカをこんなふうに描く奴なんてダメなんですよ、みたいなことを言いながら。

 

宮崎さんが描き直した絵は、迷いなく容赦なく顔にかかる小枝を払いのけながらも静かに一点だけ(目的の光だけ)・(心で)見つめ疾走するアシタカでした。

 

 

 

この違い、イメージしてみてください。

 

私が最初にリアルと思ったのは外側に常に反応するという生き物のエゴの特性。でも人間の本当のリアルは後者の魂の特性のほうです。

 

 

 

本当の正しさ、本当の目的を心で見つめる者にとって、小枝という障害はただ静かによけるべきものであってそれ以上に心を揺さぶるべき対象ではない、ということなのだと思います。

 

 

 

どんなにまじめに一生懸命に生きても、この小枝という障害への恐れと対処にばかり必死でいたら、それは魂を生きたことにはならない。でも魂の目的から心を逸らさずに進めば、障害は最小の力でそっと退けることができる。

 

 

 

これが、神が私たちに差し出す救いの手であり、導きなのだと思う。

 

 

 

今週末23日㈰10時~12時のRUACH瞑想会は、まだお席に余裕がございます。

秋分という自然の節目のエネルギーを借りてコミットメントし、さらに深く内なる世界を探索できたらと思います。

ご参加をお待ちしております。