世界の中心で平和を叫ぶ

みなさんこんにちは。沖縄心のセラピストAZUです。

 

沖縄は県知事選挙が間近です。私のSNSでも連日選挙のことを上げています。やかましいと思われるかな、などと思いつつも心は離れません。

 

 

 

私が心底関心があるのは、平和、それだけです。

 

人と人の心が開かれ理解しあって、違いという壁を越えて助け合える。

 

そういったコミュニケーションが全体として機能している状態がこの世の平和だと言えると思います。

 

それは、心の探究の一つの大きな目標でもあります。

 

平和はすべての人の心と関係があり、完全につながっています。

 

 

 

私の父はとても勉強熱心な人で、特に歴史、また政治、宗教などにも教養がありました。子供のころ、両親がいるところでどうして人間は殺し合いをしようとするのか、というようなことを問いかけたところ父は「美緒、歴史を見てごらん、戦争はなくならないよ」と言っていたのを覚えています。

 

 

 

でもお父さん、それは確かに長い人間の歴史ですけれど、すべては「過去」です。

 

 

 

確かに過去から学び同じ過ちを繰り返すまいと人間は誓いますが、その誓いはいつも破られてきました。それがなぜなのか、長いこと考えましたが、人間の意識の仕組みを探究して理解できました。

 

私たちの潜在意識に刷り込まれているのは習慣であり、習慣が私たちに可能か不可能かを実感させ判断させて、容易そうなことを繰り返し再生させるのです。個々の記憶も、集合的な記憶も同じなのです。ですから過去が繰り返され、そのループから出られないかのように見えるのです。

 

 

 

しかし、そのループから脱出し、本当の目的に向かって進む道を私は見出しました。本当の目的というのは、至福のことです。至福とは神の性質です。潜在意識ではなく、超意識、さらに宇宙意識(神)こそが私たちの注目すべき場所だったのです。

 

 

 

平安、平和をもたらす源がそこにあります。それに気づかない限り、私たちは習慣の虜となって過去の再生を繰り返すのです。不幸であれば不幸の連鎖を、富む人は富む連鎖を、貧困であれば貧困の連鎖を。その鎖の輪として人生を送るのです。

 

 

 

その鎖がすり減って朽ち果てるまでその鎖でいるのか、それとも自ら返上するのか。瞑想は自ら返上するために神から差し出された手段です。

 

 

 

覚者でなくても聖人でなくても、平和と愛を望む人はこの地上に大勢います。私たちが本来の崇高な課題に取り組む上でも、少なくとも戦争のない生活は人にとってどうしても必要なものです。

 

 

 

狛江第2中学校の1年生だったころ、インドから帰ってきたばかりの平川孝子先生という歴史の先生が教科書そっちのけで教えてくれたことがあります。

 

世界の4大文明が発達したのはなぜか。それは、生活の安定があったから。文明も文化も芸術もいのちの安定の上に発達したものなんです、ということでした。

 

中学の授業で覚えているのはそういう、先生が思いと実感を込めて懸命に伝えてくれたことくらいです。

 

 

 

個人の生活にはいつも事情があります。私も生活に困窮していた時間が長かったので、正直社会問題など言っていられませんでした。個人の事情を解せずに正論をかざされることが嫌いでした。

 

今も時々映画などで見かけますが、風来坊な若者が「あーあ、明日世界がほろんじゃえばいいのに」というようなシーンがあります。それは自分で自分の世界を変える力がない時に浮かんでくる短絡的な思考です。その気持ちがよくわかります。

 

でもその思いの奥にある本当の願いは、自分の生き方を変えたい、自分の望む世界を実現したいということであると思います。

 

 

 

あまりにも自分が無力であるとき、私たちは破壊的なことを思います。でもそれが心底の願いである人は稀です。希望を持つことすら困難な家庭や環境に育っても、誰かが、例えば社会というシステムがそれを援助できれば自分の力でまっすぐに立ちそこから望む方向に一歩を歩むことは、人間には可能です。カルマを変えることができます。

 

 

 

でもみんなが自分の命を守るのに精いっぱい、明日をも知れぬ状況に追い込まれれば、持てるものが少ない人から滅びてしまいます。

 

私はそんな不平等が嫌いです。持てる人も持たざる人も、魂は同じです。

 

 

 

戦争は良くないがことによっては仕方ない、というような人はリーダーになってはいけないしリーダーに選んではいけない。私はそう思います。そういう人の狙いは自分の欲望の達成と利益だけです。そして自分がさらに強くなるために周囲の人を利用します。

 

リーダーは、時に自分が不利になってでも平等の権利を守ろうとするという意志を持っていなければ本来務まりません。翁長知事が私たちの心を打つのはそういう意志が心を開いている人に伝わるからに他なりません。

 

 

 

戦争や権力にまつわる金儲けのおこぼれが民間にまわるのだというような期待を振りまいて権力を得たり維持しようとする力を、私たちはいつか完全に乗り越えなければなりません。でもそれは可能だと私は今思います。

 

人が自分の内側に無限の豊かさと創造の資質を持っているということを知れば、それが可能なのだときっとわかるでしょう。

 

 

 

スピリチュアルを現実逃避に利用する人がまだまだ多いように思います。でも本当は現実を確実に変える唯一の方法がスピリチュアルであると断言できます。

 

世の中で不可能を可能に変える人はみな、この内なる無限の資質を使っているのです。

 

 

 

世界に平和を。過去の悪習に決別を。未来に希望を。心から祈ります。