なんで?

11月に入りました。1年が飛ぶように過ぎていきます。せめてすべらないように、日々精いっぱい生きたいと思います。沖縄・心のセラピストAZUです。

 

 

 

人は困難に出会うと、なんで?と考えます。なんで?というワードはセッションでもよく伺います。最近ではみなさん、それでは解決しないということをよくご存じです。向き合うことは何より大事ですが、考えるだけで心の中は解決しないということです。

 

 

 

でも本当のなんで?まで行き着き納得できればそれが本当の解決につながります。起こったことだけを見て考えていてもそれはかたちという結果を追いかけているにすぎません。

 

 

 

私は幼少期のトラウマに振り回され人生の前半は地獄のようでした。たぶん、高校や大学、30代も、近くで見守ってくれていた友人にはその言葉が伝わると思います。

 

30代の頃、大学の同窓会に出た私に「おお!生きてたか!生きてたか!」と声をかけてくれた友人がいますが、その言葉に心底救われるのは、それほどの危うさを理解してくれていた人がいるのだということです。

 

彼だけではありません。高校の時の落ち込んだ私を知っている友人からも「あの時はその姿を見るのも悲しく怖かったから、なにもしてあげられなくてごめんね」とつい5年ほど前のクラス会でも言われました。

 

 

 

でも私は本当に幸せ者だと思います。時間を超えて、私は友人たちの心の中にちゃんといたんだ、と思うからです。

 

 

 

もっともっと孤独で傷ついている人との出会いがたくさんあります。それでも今の私と出会ってくださる方々は、自分を癒そうという意志を持ってきてくださる人です。

 

それだけでソウルメイトと呼んでもいいのではないかと最近の私は思うくらいです。

 

 

 

傷ついた自分を放っておいて、自分の放つ毒におかされて周囲を苦しめている人もこの世界にはたくさんいます。

 

そしてそうなっている時には、傷つけたのは自分以外の周囲であって、原因はその誰か、何かの出来事であるという認識になっているはずです。

 

過去の自分ももちろんその時期を体験しています。

 

 

 

傷ついた人は心の中で、或いは実際に、何かを攻撃しています。それ以上傷つかないためにそうしています。それはこの自然界の生きとし生けるもののやり方で、間違いではありません。当然なのです。

 

でも、それでは幸せにはなれないし、この世のカルマ、因果を繰り返すだけです。

 

この自然界の生き物の多くは、幸せを求めているのではなく、与えられた命をただ生きています。人間もそれを見習え、と言う人もいます。それ以上を求めるから傷つくのだ、と。

 

 

 

でもそういった様々な考え方は、私の中の何も解決しませんでした。

 

 

 

この世の困難が、なんで、私に降りかかるのか。その一番正しい答えは、カルマなのだと今はとても理解ができます。それがこの世の因果律なのです。

 

自分は人にあんなことしていないのに、私はそうされる、と以前は納得がいっていませんでした。でも、自然界ではそういうことが現実に起こるのです。そしてその因果の原因は、意識というエネルギー界に保存されていて、時間と環境が整うと再生されます。

 

 

 

再生される中で、ただそれに反応しているうちは、私たちはまた困難の原因をつくり、それを保存するだけです。繰り返すのです。

 

 

 

ある時私たちは気づきます。繰り返している。ちっとも進んでない、と。

 

 

 

そして内面を見直し、困難に対して攻撃や防御ではなく、別の道を見出せたとき、私たちのカルマが一つ成就することになります。

 

 

 

別の道は、実は一つしかありません。それが愛であり、その愛の源である神を、内側にみつけること、つまり私たちは神の分身でありこの世の因果律を超越して乗り越えられる存在であるということに気づくことなのだと思います。

 

 

 

そうなって初めて、なんで?の答えがわかります。困難は、私をそこへ導くための設定だった、と。でもそんな答え、困難の中にある時にいくら差し出されたって絶対に受け取りたくないんです。

 

 

 

私たちはですから、幸せにならなくてはなりません。困難の中にあって、幸せになろうとする探究さえあきらめなければ、必ず光を見つけることができます。本当に必要な努力はただそれだけです。そしてそれを怠らなければ、必要なすべてが与えられます。

 

 

 

心はそれをみつけるために神に作られています。