愛を知る

神さまは人間の思惑とは全く違った叡智をお持ちです。

 

私たちは人生をかけてそれを探究することができます。

 

もし人生を少しでもつまらないとか価値が感じられないとか思うのは、それは人間が神を知らないからですし、神を知ろうとしていないからです。

 

 

 

ですが人間には過去のカルマの宿題があり、それに追われている間はなかなか神の本当の姿が見えません。

 

宿題をやらされている状態でいると私たちは神の新鮮な喜びを体験できません。

 

人はそれをよく、神さまからの罰だと勘違いします。

 

 

 

一番は、宿題を神に手伝ってもらい、神を喜ばせるために積極的に取り組むことです。

 

全ては神からの訓練だと理解することです。

 

(セッションはそのためのお手伝いです。)

 

 

 

神から離れてそれをすれば、それは単なる苦です。

 

けれど神からの口づけだと理解するとき、それは内なるキリストとの共同作業になります。

 

 

 

苦には、消極的な死、霊的怠慢、退屈さ、逃げなども含まれます。

 

これらは日常の中に知らないうちに共存しています。

 

共存と言っても魂と自我が分離している状態なので、社会でなにを達成したとしても満足を知りません。

 

生かされている感謝を感じることもできません。

 

でも自分は本当は神さまのものです。

 

命は自分のものではありません。

 

自分の命を持て余すのは、それを忘れているからです。

 

 

 

神は気まぐれな愛ではなく、完全な永遠の愛をお持ちです。

 

私たち人間はその愛をお手本に、学ぶためにこの世にいます。

 

学ぶというのは、自分のものにすることです。

 

 

 

人の愛は気まぐれです。

 

思うようになれば愛されていると感じ、思うようにならなければ愛されていないと感じます。

 

どんなときにも愛されているというのはどういうことでしょう。

 

自分のあらゆる面を愛することからしか、それは理解できません。

 

自分を愛するのは、人生をうまくゆかせるためではなく、神の愛をよく理解するためです。

 

神から愛されているように、神を愛するためです。

 

気まぐれな愛ではなくて、神のように愛するまで、そのレッスンは続きます。

 

でも神とのマンツーマンのレッスンは、この世で最高に幸せなものです。