愛を込める

「私たちは偉大なことはできません。偉大な愛で小さなことをするだけです。」

 

これはマザー・テレサの言葉。

 

真理を学ぶとこの言葉の真意がだんだんと心に沁みてくる。

 

マザー・テレサは偉大な行いをした人として知られているように思う。そして彼女をそのように認識していた頃、私はほとんど彼女に興味がなかった。

 

真理を求めているうちに彼女の言葉が私のハートに勝手に入って来るようになった。

 

 

 

愛は神から来る。

 

私たちは小さく無力な行いに神を招き入れることができる。

 

 

 

神(愛)という得体のしれないものをどう理解しどう受け入れるのか。

 

「まずは分析してからどう使うのか決める」という現代の思考が、壁となる。

 

しかしまず求めてさえみれば、神(愛)はあらゆるどのような道筋からも私たちのところへやって来る。

 

それが神のやり方。

 

 

 

お茶碗を洗いながら神(愛)を求めることができる。

 

その行いに神(愛)を招き入れ、神(愛)に触れ、神(愛)を込めることができる。

 

神(愛)は無限によくできている。

 

 

 

マザー・テレサはまさにそのように働きなさいと私たちに説いた。

 

 

 

私にはもっと別の道があるのではないかと悩むのなら、今やっていることの全てに愛を込めてみようと試みるといいかもしれない。そしてそれを「いったいどうやって?」と思うのなら、その理解そのものを神に求めるといい。

 

 

 

そしてちっとも込めることができないようであれば、それができるまで全力を尽くせばいい。

 

そしてそれが当たり前になる頃、神が踏み台を準備して、次のステージを差し出してくれる。この世は必ずそうなっている。

 

 

 

そうしてみるまでは、いくらステージを移り変わったとしてもやるべきことは同じになる。次々ステージを変えてみて、それはごほうびの先取りになってしまう。

 

 

 

神(愛)以外のなにに頼ってみても、神以上にこの世の仕組みに詳しいものはない。なぜなら創ったものが神だから。

 

神を知っていると思う人は、神が何を望むかもっと知りたくなるだろう。

 

神は私たちの愛だけを必要としている。

 

神のものとして愛を生きるようになるように私たちに求めている。

 

 

 

神とのレッスンはとてもとても楽しいものだ。

 

人はいつもわかりやすいかたちを求めるけれど、いったん神のやり方を選んでしまえばそのほとんどはいつもわかりやすい。

 

真理が単純であるように。