愛は花、きみはその種

今日は無料遠隔ヒーリングをさせていただきました。短期間の募集にもかかわらず多数ご参加いただいて、本当にありがとうございました。また、企画の趣旨へのご賛同も力づけられました。

ご感想も楽しみにしております。が、難しく考えず思うまま、ご負担のないようにどうぞよろしくお願いいたします。

私も今日一日、心軽やかに過させていただきました。ヒーリングと瞑想中も、何度も胸いっぱいの愛を感じました。つくづく幸せだと思います。

またタイミングをみて行いたいと思いますのでその時はよろしくお願いします。

 

さて最近思い起こしていたことを少し。

与える愛を始めて感じたのはいつのことだろうか、と。

愛は年齢とともに身に着くものでも成長するものでもありません。生まれながらにその種を内側に持っています。その偉大な種のことを魂と言ってもいいかもしれません。

それは肉体の体験によって芽吹き内側に繁殖していきます。

 

愛を受け取ってくれる最初の人がおそらくお母さんです。

お腹にいるときからシンパシーを感じ、誕生の瞬間にまっさきに探す人、それがお母さんです。

お母さんは同時に、私の命の面倒を見てくれます。この人に見放されたら生きてはいけない、という本能を、動物としての私は持っています。

ですからこの関係性はある意味条件付きでもあります。

誕生から2年半後に、弟が誕生しました。その時の嬉しい気持ちを今も覚えています。

なぜあんなに嬉しかったのでしょう。でも下にきょうだいがいる方ならなんとなくわかる気持ちではないでしょうか。

自分だってよちよちしているくせに、弟が生まれると自分はうんと大きくなったような気がしました。弟のお食い初めの時、母にいやいやして食べなかった離乳食を私の手から食べてくれた嬉しさを今もはっきり覚えています。面倒をみる嬉しさ。受け取ってもらえる喜び。

その下に妹が生まれますが、弟がかわいくて仕方なかったので、妹の時は生まれる前から楽しみでした。

そういう気持ちはずっと変わらないものだな、と思います。いつまでたっても小さな弟、妹のイメージが消えません。ほんの数歳しか違わないというのに。

そして、自分が嬉しいことをこの子たちにしてあげたい。自分が辛くていやな思いをこの子たちに味わわせたくない、というとてもシンプルな与える愛を最初に体験させてくれたのがこの子たちだったと思いあたりました。

妹からはそこから更に進化した愛を学びました。この子は生まれながらにかまわれるのが嫌いのようでした。それから女の子らしい恰好もいやがりました。私は物心ついたときからハグやなでなでや、リボンやフリルのワンピースが大好きでしたので、妹が生まれたらうんとかわいく飾ってあげたかったのです。でもすぐにそれが喜ばれないことがわかりました。人にはそれぞれの感覚がある。その人の心の声をよく聞かなければそれを知ることはできないと学びました。

弟は生まれながらに顔を含めた全身にまっさおなあざ(太田母斑と蒙古斑)を持って生まれてきました。不思議なのは、そういう違いのようなものに嫌悪感どころか違和感すら感じたことがありませんでした。弟が生まれてきた姿が弟そのものでした。弟もきっとそうだったと思います。

自分よりも小さなものを慈しむ気持ちを体験させてくれた二人は今も私の中でとても愛しい存在ですが、それ以上に、慈しむ気持ちそのものが私の中で今も強く深く息づいていることが、なによりの神からの贈りものだったと思えます。

それに気づいた時、家族の間で起こった様々な問題や事件が小さく遠のいた感じがしました。

みなさんの中には、それぞれ独自の体験がおありです。そのストーリーを追いかけていてはなかなかみつからない、神からの贈りものがそこには無数にちりばめられています。

 

この(いやな、つらい)ストーリーにもきっと意味(意義)があるはず・・・という探し方だとそれはみつかりにくいかもしれません。自分に正直になって、感じている気持ちを尊重してあげると、尊重されたあなたの心は開いてくれます。心が開いた時、体験や感情は解け始め、やがてその奥から愛の種が芽吹き、あなたにその花を見せてくれます。